笑う門には花が咲く

不妊治療・死産・転職…日々奮闘の記録

最悪、子宮全摘になります。というパワーワード

無事に赤ちゃんは生まれたものの、胎盤が出てこない。

 

先生が子宮内の映像を見ながら医療用のピンセットで出すのですが、これがなかなか難しいようでした。というのも、問題はずっと出血が続いていたから。

赤ちゃんが自力で出てきたのに、今頃になって子宮収縮剤が効いてきて腰に激痛が走り始めました。

私は子宮収縮剤のせいだと思っているのですが、実際のところはどうなんだろ。

もう生まれてるのに、この激痛なんだよ・・・拷問かよ・・・

と思うほどの痛みでした。

赤ちゃんが産まれるためでもなんでもない痛みなんて、ただの苦行です。

 

胎盤は段々剝がれてきてはいるけど、今のままピンセットで出すか、手術するか相談するからちょっと待ってね」と言われました。

待っている間もずっと痛くて、「痛い、痛い」って言いながら

看護師さんに「痛いよね、辛いね」って言ってもらいながら

早くこの状況から解放されたい!の一心でした。

 

先生が戻ってきて、「出血も多いし、このまま続けるのは母体にもよくないので、手術にしましょう」と言われました。

手術なら麻酔もしてもらえるし、早くこの痛みから逃れたい私にとっては願ったりかなったりでした。

手術には家族の同意が必要なので、夫に電話で連絡。

日曜日の朝8時半ごろ、夫はまだ寝てるだろうなと思いながら…

 

「赤ちゃん、自力で産まれてきたよ」

「え???!!!!もう産まれたんだ!!!!」

「これから手術になるから、病院来れる?」

「手術????!!!!」

いつどんな連絡が来るか、常に気を張ってくれていたようですがさすがにびっくりしてました。

日曜日だったので夫にもすぐに来てもらえて、ほんとに親孝行な子です。

 

手術になるまでに1時間くらいはあったと思いますが、2分おきくらいに腰にくる痛みがどんどん強くなっていて本当にしんどかった。

 

外科の先生が来て、手術の説明をしてくれました。

全身麻酔をかけて、エコーで子宮の中を見ながら、安全に胎盤をはがす作業をする

・手術中、大量出血が止まらなければ子宮の管からカテーテルを入れて出血をとめる処置が必要になる

・それでも止まらず母体に危険が生じてきたら、お腹を切って出血を止める

・一番最悪なケースは、子宮を全摘するところまでいく

…ということを丁寧に説明してくれました。

 

あらゆるケースを説明する義務があるし、それに同意しての手術になるので分かるのですが、「子宮全摘」というパワーワードに一瞬言葉を失いました。

それだけは絶対に受け入れられない、と思ったけど

残された選択肢は手術しかないし

激痛過ぎてもう耐えられないし

もう先生と自分の身体を信じるしかないし、なんだか赤ちゃんが見守ってくれてる気がして同意しました。

 

ようやく手術への準備が整い、手術室へストレッチャーで運ばれる一瞬、

夫に会うことができてすごく安心しました。

私はずっと痛がってましたが、手を握ってもらえた時にちゃんと終わって無事に会うんだ…!頑張ろう、と思えたのを覚えています。

 

麻酔担当の先生や、たくさんの方が交互に挨拶をしてくれて、みなさん安心させようととても優しく接してくださいました。

まさか自分が手術室に入る日が来るとは思いませんでした。

呼吸器を付けてゆっくり深呼吸したのが直前までの記憶。

 

気付くとボヤっと周りが見えてきて、「無事終わりましたよー」という声が。

お腹切られてないよね?無事に終わったってことは子宮はあるんだよね、と思いながら、痛みもなくなり感謝の気持ちでいっぱいになりました。

手術室を出たらまた夫に会えて、安心した顔を見れました。

 

術後、貧血の数値が高いということでこれまた人生初めての輸血。

副作用があると手足がしびれたり、視界がぼやけたり、肌にぽつぽつが出ることがあるそうです。

なんの問題もなく輸血はでき、どこのどなたかわからないけれどありがとう…献血行こうという気持ちになりました。(安直)

 

看護師さんに時間を聞いたら12時。

朝の7時くらいに色々なことが始まって、目まぐるしく過ぎたあっという間の時間でした。

 

「人生で初めて」のことを何個も経験した日。

自分が予想できることなんてこれまでの経験から得たものでしかなくて

そんな予想通りにいくものでもなく

自分の理想とか予測とかそんなものを一気にぶち壊された日。

 

思っていたよりも大変な事態になって

でもなんとかなって

この日は、悲しさもあったけどなんだか変なアドレナリンが出てた気がする。

赤ちゃんが無事?に出てきたというなんとも言えない安心感と達成感を感じつつも

なんかすごい日だったな…という空っぽな状態でした。

誕生日

朝4~5時くらい

また数分間隔でお腹が痛くなるものの、ナースコールするほどではない気がして

ベッドでゴロゴロしながら痛みを逃がしてました。

やたらとお腹の辺りが生ぬるくて、結構汗かいたのかなーなんて思っていましたが、後からこれはシーツにまで染みつくほどの出血だったことがわかりました。

恐らく陣痛でしたが、我慢してしまった。。

 

7時ごろまた目が覚めて、寝ていたら何かがぬるっと出てくる感覚が…

血の塊ではない何かが出ようとしている気がして、慌ててナースコール

看護師さんが来て、このまま分娩室行きます!と言われて車いすで移動。

なんだか車いすにどっしりとは座れず、空気椅子状態で移動・・・

 

分娩室についたら、点滴やら採血やら血圧やら色んな管を付けられる。

ドラマでよく見る手術のライトを当てられて、普段病院とは無縁の自分としては現場のリアルさに少しビビってました。

先生たちは、まだ子宮口はそんなに開いてないんだけどな…と不思議そうでした。

お腹もそんなに痛くなくて、ピークがおさまってしまった?ようでした。

 

子宮収縮剤を打たれる。

出血はずっと続いていて、そしたら助産師さんがなんか時計を読んでいます。

実はこの時に赤ちゃん出ていたようなのですが、「赤ちゃん出たよ」と

ハッキリとは言われませんでした。

 

その後、胎盤を出すために器具を入れて先生が試みるも、胎盤がなかなか出てこず…

ここからが大変でした。

そんなとき、「赤ちゃんもう持って行って」という会話が聞こえました。

 

(「え、もう出てたの?」)

 

「赤ちゃんはちゃんと出たから、もう大丈夫だからね」と助産師さんが教えてくれて、ようやく安心できました。

 

赤ちゃんは自力で出てきてくれたようで、私としては全然痛くありませんでした。

ほんとに、最後まで優しい子でした。

2021年8月1日 8時13分 わたしは、赤ちゃんの誕生日だと思っています。

 

産まれたときに、産声を聞くことはできなかった。

すぐに姿を見せてもらうこともできなかった。

本当のお産は、もっと長くて赤ちゃんとお母さんが必死になってこれからこの世界で生きるために頑張るはず。

でも、そうではなかった。

ただ、私は第一子を産んだ。

自分のところに来てくれた、私をお母さんにしてくれた大事な我が子を産んだ。

命が宿ってからの幸せな気持ちや、不安な気持ちや

今回のような経験で私の人生を大きく変えるきっかけをくれた大事な子を

私は産んだんだと。それだけは揺るがない事実だと誇りに思っています。

 

そして、ここから胎盤を出すのが本当につらかった・・・。

長くなるので、また次回にします。

 

 

 

 

 

 

お産?の始まり

入院して持ってきた荷物などを片付けてひと段落した後

折り紙でくまやうさぎや鶴などなど折りました。

七色の鶴は、赤ちゃんを空まで送り届けてくれますようにという願いを込めて🌈

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こちらは主人が家でせっせと作ってくれた折り紙です。

やたらと難易度の高い花に挑戦してしまったらしく1時間くらいかかったらしい笑

オレンジの折り鶴の中には赤ちゃんへのメッセージが書いてあります。泣ける。
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入院してから、出血量は多くなっていました。

血の塊のようなものが出ることも。

すぐにエコーで見てもらいましたが、まだ処置を始めるには早いそうでした。

入院した日は土曜日だったのですが、処置の開始は月曜日まで待つと言われました。

病院事情なのか身体の様子からなのかはよくわかりませんでした。

 

シャワー中もトイレでも、いつ出て来るかという不安を感じながら

恐る恐る過ごしました。

もういつでも出てきていいんだよ!!と心の中で思いながら。

 

20時半ごろ

お腹の痛みが強くなりナースコール

変な汗が止まらず、出血ではないけど何か液体が出ている感覚

ただ、まだ子宮口は開いておらず特に処置はなし。

このままいけば、薬などは使わず明日には産まれるかもしれないと言われました。

正直自分の状態がどうなっているのか訳はわかりませんでしたが、

とりあえずめちゃくちゃ痛い!!!!!!!!!って感じでした。

1時間もするとだいぶ痛みがおさまり、これなら寝れるかなというくらいになりました。

 

陣痛がきてるけどまだ病院に行くのは早いと言われる妊婦さんの話を聞きます。

痛みの波を長時間乗り越えながら、寝ることもできず耐えたりしてるんでしょう。

でも、出産した後にその辺皆さんさらっと話しているような気がして。

強すぎだよ…!!もっと武勇伝として語ってよ。

 

たまたま前日の検診の時から痛みがあったおかげで翌日入院になったので

タイミングよく痛くなってくれてありがとう、と思いました。

家にいた夜中にこんなことが起きていたら、主人とただただパニクっていたことでしょう。

 

入院

前日に再度検査で大学病院へ。

車で向かう途中でも、3〜4分おきくらいにお腹と腰に激痛が。

 

心拍が確認されないことを改めて確認…。

もう分かっていたことではあるので、取り乱さずに話を聞くことができました。

腰とお腹の痛みがあるので、翌日から入院することに。

 

「赤ちゃんらしきものが出てきちゃったら、トイレで流さないでください。」と言われました。

そんなこと言われても…😭😭😭

トイレ行くの怖すぎた・・・

 

グリーフケアの話を看護師さんがしてくれて、

産着を作ったり、折り紙を折ったりと見本を見せてくださいました。

病院の帰り、赤ちゃんホンポで産着を作るためのハンカチとたまごボーロを購入。

赤ちゃんを送るためのものを買いに、赤ちゃんホンポに行くことになるとは

思いもしなかったので、少し胸が苦しくなったのを覚えています。

 

そして、入院の日が来ました。

コロナの影響もあり、陰性だと分かるまでの数時間は個室へ。

陰性だと分かってから2人部屋へ移りました。

お隣に一人いらっしゃったのですが、私が来たことで一人部屋状態では

なくなってしまったようで。

個室を希望され、お隣がいなくなったことで個室状態になりました。

それぞれ色んな不安や気持ちを抱えて入院しているんだと感じましたが

正直、一人になれたのはありがたかったです。

 

産科への入院なので、廊下に出ればお腹の大きい妊婦さんがたくさんいます。

遠くから、赤ちゃんの泣き声も聞こえてきます。

もうすぐですか?おめでとうございます、なんて声も聞こえてきました。

お腹の大きくなっていない自分がそこにいること

自分の赤ちゃんは生きては産まれてこないことを実感して

悲しくて仕方がなかったです。

一人になると、色々なことを考えて涙が出続けました。

 

コロナなので、本当は病室のドアは開放しておくのが原則ですが

看護師さんはとても優しく配慮してくれて

ドアは閉めて外の音が聞こえないように。

また、今の気持ちも聞いてくださいました。

コロナで様々な対応を強いられる中、こちらの不安を受け止めて

優しく接してくださった病院の方々には、感謝しかありません。

 

同じタイミングで死産したしいちゃんは、私よりも1日早く入院していました。

ここでも、お互いの状況を伝えたり気持ちを吐き出させてもらえたので

本当に支えられました。

子宮口を開くための棒のようなものを入れているという話を聞いて、

ブログ等でもその対応を読んでいたので分かってはいましたが

私はもしかしたら自然に出てくるかもしれないと判断され

まずはそのまま何もせず過ごすことになりました。

 

 

もう、認めるしかない

大学病院で心拍がないと言われて、半ば病院への不信感が募っていた私は

翌日、妊婦健診に通っていた家の近くの病院でも再度エコーを診てもらいました。

 

結果は、やっぱり心臓は動いていませんでした。

もう、お空に還って行ったことを受け入れるしかありませんでした。

 

病院の先生には、流産は15%くらいの確率で起こりうること。

同じ妊娠というものはないから、次の妊娠はまた全然違うことが始まる。

繰り返されるわけではないし、自分に問題があるものでもない。

まだまだ諦める年齢ではないから、今回のことは受け止めて、ただずっと引きずるのもよくないと。

ようやく、もう受け止めるしかないと納得できた気がしました。

 

3日後に再度大学病院に行って、産むことになりました。

この時18週に入っていたので、下から産むことになります。

 

ここからまた、色んなことを検索し始めました。あの頃は本当に検索魔だった・・・

死産した方のブログを読んで、最後に赤ちゃんにしてあげられることを調べまくってました。

産着を作ったり手紙を書いたり、話しかけたり…自分がしてあげたいことを色々と考えてました。

 

入院の前日、夫とお腹に手を当てながら赤ちゃんにありがとうを伝えました。

お腹も少し大きくなってたので写真も撮って。

あーあ、ここにいるのになあ…なんて思いながら。

 

病院に行く前日、寝る直前に突然の悪寒に襲われました。

体温は37.7℃。外にも出てないし、コロナではないだろうと思いつつも少し不安が。

夜中から明け方にかけて出血量が増え、お腹が痛くなって腰に激痛が走り始めました。

実は陣痛のようなものが始まっていたようなのです。

 

身体って本当にすごいですよね・・・赤ちゃんの心臓が止まったら、

身体が自然に外に出そうとするなんて。

本当の出産はあの何倍もの痛みだろうし、かなりの時間その痛みと戦うわけだし

本当にね、お母さんてすごすぎる存在。

 

悲しすぎる偶然

病院に行く前日、会社の後輩(しいちゃん(仮名))から一通のLINEが届いていました。

仲の良い後輩で、私が12月予定、しいちゃんが1月予定で共に妊婦さんになっていました。

一緒に産休入るの楽しみだね!なんて話をしていました。

 

その子から、「出血したんですけど、病院行った方が良いと思いますか?」と。

私が出血で入院していたことも知っていたので、どうしたら良いか分からずに連絡してきたんだと思います。

よくよく聞いてみると、お腹も痛いと。

翌日、すぐにでも病院に行くように伝えましたが、仕事を休んで良いかと気にしていました。

 

私もそうでしたが、妊婦さんは本当に無理をしないでほしい。

仕事を頑張っている人ほど、急に休んで良いのか、少しの体調不良くらい我慢して頑張ってしまう気がします。

自分と赤ちゃんよりを第一に優先してほしい。

それで休めない仕事なんて、どうかと思う。

本人が休めないと思っているだけで、言ってみれば意外にどうにかなることの方が多いのでは無いかとも思います。

でも、渦中にいる本人は気付けないことが多い。

旦那さんや職場の人など、周りのフォローが必要だなと思います。

 

やっぱり翌日病院に行ってみると言っていたので、無事でありますようにと祈っていました。

次の日、私は心拍が止まってしまったと病院で告げられていました。

病院でお会計を待っているとき、ふとしいちゃんは大丈夫だったかとよぎりました。

その時、ちょうど彼女からLINEが。

 

「赤ちゃん、心臓止まっちゃってました。」と。

 

もう、なんとも言えない悲しさに襲われました。

こんな悲しい偶然が起きるのかと。

赤ちゃんが無事に産まれるって、すごく難しいことなんじゃないの?って。

私もだと伝えると、彼女も驚いていました。

 

ただ、死産後、彼女に救われたことは間違い無いです。

同じタイミングで同じ気持ちの人がいる。

自分の今の気持ちを、惜しみなく吐き出させてくれる相手がいたというのは有り難さしかありません。

2人でずっと赤ちゃんへの気持ちをLINEで吐き出し合っていました。

 

旦那さん同士も仲が良かったので、連絡を取り合っていたようでした。

旦那さんだって、同じくらい悲しいに違いない。

でも、私を心配して気遣ってくれて、私の前では一切泣きませんでした。

自分の気持ちも多くは語らなかった。

だからせめて、旦那さんも自分の気持ちをしいちゃんの旦那さんに言えてたら良いなと思いました。

 

死産してから、意外に周りには流産や死産経験者がいることを知りました。

頑張って抱えながら向き合いながら懸命に生きている人がこんなにいるのかと、全く知らなかった世界。

とても辛いし悲しかった出来事。

でも、それだけではなくて、ここから私は自分の人生と本当に向き合うことになったし

命について考えるようになりました。

経験していなかったら一生持つことのなかったであろう感情や感覚。

そう思えるようになるのは、もう少し先のお話ですが(^^;

 

 

 

心拍が止まった日

お久しぶりの更新になってしまいました。

また、少しづつ書いていきたいと思います。

久しぶりに書くのがここかあ・・・と。

文章にすることに、かなり構えていて止まってしまっていた気がします。

 

退院から1週間後、退院後初めての検診でした。

その日の朝、トイレに行くと大きな血の塊が出てきてしまいました。

病院についてエコーで赤ちゃんの様子を見てもらう。

 

そこで告げられたのは、「心拍が確認できません」でした。

 

2日前に家の近くの病院で見てもらった時は確かに動いていた小さな心臓は

もう動いていませんでした。信じられませんでした。

昨日か今朝、止まってしまったんだと。

2年経った今でも、この時のことを思い出すと涙が出てきてしまいます。

 

これから安静にして、羊水が増えることを信じて少しづつでも回復すればと思っていましたが

お別れは急でした。

でも、羊水がないと診断されてから1週間以上が立っていました。

呼吸もできない、過酷な状態で頑張ってくれていたんだと思います。

よく、そこまで生きてくれたと思います。

安産祈願のご祈祷を聞いて、せめて気持ちよくお空にいってくれていれば良いなと思いました。

 

診断としては、「慢性早剥羊水過小症」とされました。

ただ、出血の原因も、羊水がなくなってしまったことも最後まで明確な原因はわかりませんでした。

これだけ医療が発達している時代でも、まだまだ分からないことばかりで

妊娠も出産も、本当に奇跡の連続なのだと思います。