笑う門には花が咲く

不妊治療・死産・転職…日々奮闘の記録

怒りは無事おさまりました。

前回投稿した夫への怒りは無事解消しました。笑

帰るよっていう連絡をくれる時になんか一言くれるかなと思っていたら

「何時に家に着くよ」っていう連絡が先にきました。その後、体調どう?と。

帰る報告が先?って思っちゃったんですよね🥺

 

なので、大事な日に何の連絡もなくて

どうしても怒りがおさまらないから。

帰ってきてもイラついてるから。

ということをLINEで報告しておきました😂

 

とりあえずひたすら謝られました。

案の定、仕事が忙しくて連絡ができなかった

私からはLINEが来ていないと思っていたと

言ってましたが全部言い訳にしか聞こえず。

本人も、何を言っても言い訳にしかならないと言ってましたが。。。

 

こういう時って可哀想なもので、本人は謝ることしかできないけど、謝られてもおさまらないこともあるから。

ひたすら耐えてもらうしかない😅

 

LINEが来てなかったら連絡しないのか?

仕事が忙しくなるって予め分かってたなら、打ち合わせに入る前に連絡できたのでは?

仕事が忙しいのは分かるけど、それとこれとは別だという話をしました。

 

連絡がない、というのはひとつのきっかけにしか過ぎなくて。

その先にある気持ちは、寂しいということ。

毎日薬を飲んだり、自分の体調と向き合ったり

移植の日はどきどきしながら病院へ向かい

その後もどきどきソワソワしている。

 

自分が子供欲しくてやっていることだから、全然できる。

でも、一人でやってるわけじゃなくて気持ちは一緒であって欲しい。

その気持ちは時に直接言ってもらわないと分からないことだってある。

私、一人で頑張ってるのかな?って不安になることだってある。

声をかけてくれるだけで救われるんだよ。

そんなようなことをバババーっと吐き出しました。

 

絶対悪気はないし

頑張って働いてるの分かってるから

しょんぼりしてて可哀想だったけど

こーゆうことはしこりを残さない方が良いと思ったので自分のために言いました。

 

言いたいこと言ってスッキリ😆(自分だけw)

自分の中でぐるぐるして消化しちゃうんじゃなくて、吐き出してみるのは大事だなと思いました。

 

次回からは、また死産の話に戻ろうと思います。

 

胚移植後、怒りのままに

こんにちは。気付けば1ヶ月近く経っていてびっくりしました。

1ヶ月経って、今日は胚移植の日でした。

 

前回の移植は陰性になり、結構落ち込んだのですが

振り返ってみるとなんだかすごくメンタル的に準備していたというか

母性武装して行った感があったなあ・・・と思いました。

 

お腹に入れた瞬間に私はもう母親なんだ!的な。

無理やりマインドコントロールする感じで・・・無理あった。

久しぶりの移植で、かなり緊張していた気がします。

そして、陰性になった後は夫にも赤ちゃんにも申し訳ない気持ちになっていました。

お父さんにしてあげられなかった

産んであげられなかった

みたいな感じです。

 

でもね、「〜あげられなかった」ってめっちゃ上からじゃない?と思って笑

2人の子供を産むことは私にしかできないから、頑張ってその役目を果たそうとしてました。

なんかこの気持ちのままで言ったら、「お腹を痛めて産んであげたのに!」とか

「産んで大変な思いしたのは私なんだから、お父さんにしてあげたのは私なんだからもっと感謝しろ!」的なw

もしかしたら、ですけどね。嫌なやつすぎる笑笑笑

感謝されたがり野郎じゃん。

結果的に父親、母親になるし、産まれるのも私の力だけでは無理で。

赤ちゃんにも生きる力がないと生まれないから、産んであげるっていうのはおこがましい。

と、最近思います。

 

妊活していると、2人の子供を産むという役目を果たさないといけない、みたいな気持ちによくなります。

それが自分の存在意義みたいな。

だから、陰性だとなった時に何がいけなかったんだろう…って私は原因を考えちゃいます。

でも、さっきも書いたように私の力だけでは無理なんですよね。

どっちがどう、とかないから。

お互いにピタッときた時に生命になっていくのかなあ。

わかんないけど。その時を楽しみにしようかな。

 

で、今回の移植は気づいたら今日だった、という感じでした。

毎日色々やって過ごしていたら「あ、もう明日か!」っていう。

すーーーーんって病院行って、すーーーーーんって入れてきました。

さあ、どうなるかな^^

 

で、タイトルのことなんですが、ブログ書いてたらちょっとおさまって来ました。笑

何に怒っていたかというと、夫へなんですが。

出勤が早いので朝起きたらすでにいなかったんですが、1日何の連絡もない・・・。

「行ってらっしゃい」とか、「よろしくね」とか、何でもいいから欲しいんです、私は。

「行ってきます」と打った私のLINEはいまだに未読状態でなんかかわいそう(´;ω;`)

 

何?丸投げなの?トイレ行ったりお昼食べる時間くらいあるだろ。

なんか一言くらいあるだろ。

こちとら毎日薬の時間気にしつつ過ごして、そわそわしながら今日を迎えとんじゃ。

それ分かってんのか?一人で頑張るもんじゃないんだから。

ああ、なんか無性にイラつく・・・・・・・・・・・・

 

いや、でも仕事がすごく忙しくて連絡してる暇もないのかもしれない。

何も思ってないわけないじゃない。きっと心の中ではなんか思ってるよ。

 

って、私の中の天使と悪魔がずっと会話してる。

あ、やっぱりまだイラついてる、私。

胚移植後なんだから、心穏やかに過ごさねば、と思いつつ

イラついてるのは事実なので

これは吐き出すしかない!!!と思って勢いのままにブログを書きました。

 

ほんと、妊活っていうのは色んな気持ちにさせてくれるものだな。

とりあえず連絡を待つとしよう。

ではでは^^

 

トライ&エラー

今日は、ここ最近のことを書きます。

2年前に採卵した時の凍結胚が2つ残っていました。

なかなかまた移植する気になれず、ただずっと凍結胚の卵たちのことは気になっていて

産まれる可能性のある子たちを保険のような形で残していることが

申し訳ないような気もしつつ

自然妊娠を望む自分もいて

最終手段のような気持ちで残していました。

 

ただ、ずっと凍結胚が気になっていたから

私はこの子たちを産みたいんだなと思い移植をすることにしました。

 

3月に病院に行ったら、4月の生理が来たら

すぐにでもできますと。

すぐにでも妊娠したくて行ったのに

内心、もうできるの⁉︎とちょっと尻込みしてる自分もいました。

この辺りの感情の揺れ動きは自分でも謎。

 

移植までの流れは、すっかり忘れてました(^^;

移植までの気持ち、移植した時の気持ちなどはまた改めて書きたいと思います。

 

5/2に移植し、昨日結果を聞いて来ました。

結果は、陰性でした。。

もうね、すごくショックで、今の気持ちをリアルタイムに書きたいと思って書いてます。

 

正直なことを言うと

1回目で妊娠できたから、2回目もいけるんじゃないかという気持ちがありました。

でも、そーゆうことじゃないんだと痛感させられました。

 

自然妊娠だろうが

体外受精だろうが

手段が違うだけで

宿る時は宿るし

宿らない時は宿らない

 

過去の経験から体外受精なら妊娠できる

って思っちゃってた。

病院に言われた通りに薬飲んで、それで満足してた。

頭で色々考えてても、できませんよね。

 

でもやっぱり悲しいもんは悲しいし

悔しいもんは悔しいし

病院出てからずっと涙がまん

速攻家帰って大声で泣きました。

とりあえず出てくるもんを全部吐き出そうと

久しぶりにめちゃくちゃ声あげて泣きました。

 

そしたらもう、すごいスッキリしちゃって😆

泣くってすごく大事だと思います。

何が悲しくてこんなに泣いてるか分かんなくても

涙が出るうちは出せばいいし

声出して泣くのめちゃくちゃ気持ちいい笑

 

体外受精なら妊娠できる

この思い込みというか、変な自信を

見事にぶち壊されて

手段に頼ってるうちは何も変わらないと

ハッとさせられました。

うまく言葉にできないけど、リセットされた感じがします。

 

そして何事も、トライ&エラーの繰り返し

動いていけば、何かが起こるし

起こった時に色んな感情が湧くし

その都度向き合って進んでいくんだと思います。

今回ダメだったから、次もダメかも

って、そんなワケはないと思います。

 

だって気持ちも身体も日々変化してるし

移植する卵だって別人なワケだし

毎回、新しい出会いの連続ですよね。

今回陰性になったおかげで

あー、こんな気持ちになるのか、、

ということも味わえた。

良くいえばね笑

 

なんかポジティブ変換し納得しようとしてる感じあるけど

悔しいし悲しい気持ちはもちろんあります!

そりゃ妊娠できたら一番よかったわ!!

でも結果は結果なので、受け止めます。

 

昨日から薬やめてよくなりました。

まずは、頑張ってくれた自分の身体にありがとう。

あったかいお風呂入って、美味しいもの食べて労わりたいと思います😊

 

 

主人ひとりで安産祈願

妊娠して初めて、「戌の日」という言葉を知りました。

(犬(戌)は多産ながらお産が軽いことから安産の守神とされており、

妊娠5ヶ月目の最初の戌の日に腹帯を巻いて安産祈願をするという風習)

 

安産祈願は、妊婦さんや旦那さんにとって赤ちゃんが無事産まれるよう気持ちを込める

ことができる楽しみの一つなのではないでしょうか。

私も、安産祈願を楽しみにしていました。

 

しかし、この時は絶対安静で外出は避けていたので、主人に行って来てもらいました。

ご祈祷が始まる少し前、主人からの着信。

「通話にしたままポケットに入れておくから、聞いててね」

そう言って、ずっと御祈祷の音を聞かせてくれました。

絵馬も書いてきてくれました。

 

ベッドの上でその音を聞きながらずっとお腹に手を当てて、

窓から空を眺めながら祈り続けました。

とても晴れた気持ちの良い日でした。

心地良い御祈祷の音は、きっと届いていたことと思います。

 

この時のことは、思い出すと今でもなんだか涙が出てきてしまいます。

きっと、夫婦で来ている方がほとんどだったと思います。

そんな中、主人は一人で、どんな気持ちで行ってくれたのか。

今回の妊娠は、主人の優しさを感じたり支えられているということに

たくさん気付けた出来事でもありました。

夫婦の絆を強くしてくれたのも、この子のおかげです。

 

安産祈願では、お札・お守り・お守り風のマタニティマーク・腹帯・お箸など

色々なものをいただきました。

お札をずっと飾っていて、赤ちゃんが亡くなってもそのままにしていたので

どうしようか迷いましたが

1年経った頃、初詣のタイミングで古いお札と一緒に納めました。

 

 

セカンドオピニオン

退院して、ようやく家で過ごせるようになりました。

リラックスして過ごせるし、やっぱり家は最高だと思いました。

 

入院していた病院は大学病院だったので、先生が言うからにはそうなのだろうと思いながらも

信じ切ることはとてもできませんでした。

入院してから1週間以上エコーでの検査もなく、久しぶりに診てもらったと思ったら

いきなり告げられた事実。

きっと、合間にエコーで見てもらっても何も手立てはなかったと思いますが

病院の対応に少なからず腹が立っていたのも本音です。

 

このままただ安静にしているだけでは気が済まず

他に何か治療法があるのか、どこか病院はないかと主人と調べていました。

加入していた保険会社の相談窓口で産科のお医者さんと話すことができるのを見つけ、

電話相談してみました。

やはり、17週では小さすぎて有効な治療方法はないと言われました。

 

退院してから、病院では聞けていた心拍が聞けない毎日がやってきて

不安で不安で仕方がなかったです。

入院前、検診で通っていたのが徒歩5分の産婦人科でした。

居ても立ってもいられず電話で状況を伝えると、大学病院と情報のやり取りを

していてくれたようで、すぐに診てくれることになりました。

 

まずは心音が聞けて一安心・・・。

エコーでは胃泡も見えると言われました。

羊水がかなり少ないことと、対応の見解は大学病院と同じでした。

ただ、その先生から、安静にするということが今は一番の治療なので

これで1、2週間様子を見て羊水が増えているかの傾向を見つつこれからのことを

決めると良いのではと言ってもらえました。

安静にすることが治療だと言われた安心感と、先生の言葉で妙に納得できました。

 

この日、東京オリンピックが開催しました。

主人が買ってきてくれたマットレスをリビングに敷いて

ひたすら水分をとりつつ、寝ながらずっとオリンピックを見る日々が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

羊水過小症

羊水が少ないことで告げられたのは、「羊水過小症」という聞いたことのないものでした。

赤ちゃんがプカプカ浮かぶ羊水がないと、呼吸ができない。

これから作られていく腎機能や呼吸の機能がつくれず、産まれることができたとしても障害が残るかもしれない。

 

先生に告げられてからとにかく検索しまくったけど、羊水過小症に関する記事はあまりなく大学の論文みたいなものばかりでした。

1件だけ、羊水過小症の方でも羊水が増えて、無事に出産しているブログを見つけた時には、ものすごい希望に思えたものです。

大丈夫、大丈夫、一緒に頑張ろうねと何度も伝えながら。

 

そこから2日後にようやく主人と一緒に先生の話を聞くことができました。

それまでの時間が地獄のように長かった。とにかく不安で、自分の気持ちを保つのに精一杯でした。

旦那さんに会うのは入院ぶり。顔を見ただけで泣きそうになり、泣くのを堪えるのに必死でした。

 

説明されたのは

・羊水はほぼない(羊水過小症)

胎盤の中全体に血腫(血のかたまり)が広がっている

・入院時は羊水があったが、入院中になくなっていった

胎盤からうまく栄養が吸収できていない可能性が高い

・赤ちゃんの膀胱は見えるが、胃泡が見えない

・このまま羊水が増えない場合、まずは赤ちゃんの命が継続できるか分からない

・継続できたとしても、赤ちゃんに何かしらの障害が出る可能性が高い

・肺の機能が弱くなるので、一生呼吸器をつけて生活するような可能性も出てくる

 

といったような話でした。

そして、現時点で回復させる治療法はないこと

ひたすら安静にして、羊水が回復するか様子をみていくしかないこと

を伝えられました。

最後に、妊娠を継続するか、中断するかを妊娠20週までに決めないといけないと言われました。

(この時17週)

 

何もできない無力さと

なぜこうなってしまったのかという自責の念と

継続か中断かを考えなければならないこととで

頭の中は真っ白でした。

 

唯一の救いは、出血がおさまっているので退院したかったらしても良いと言われたことでした。

病院で一人で抱えられる自信は全くなかったので即日退院することになりました。

退院する最後にもう一度姿を見たくて、エコーを見せてもらいました。

元気な心音は聞こえているものの、やっぱり羊水はありませんでした。

 

突然の入院でしたが、こんな形で退院するとは思ってもみなかった。

いのちというのは、何が起こるかわからない、予想できないということを初めて実感しました。

 

久しぶりのエコー検査で突きつけられた事実

入院から9日が経った日、お腹の張りもなく、出血もおさまっていました。

ついに車椅子も解除となり、自由に歩けるってサイコー!!という気分でした。

そろそろ5ヶ月検診の時期だったということもあり、エコーで赤ちゃんの状態見ましょうと

ようやくお声がかかりました。

やーーーっと姿が確認できる。大きくなってるかなあ?とワクワク。

 

まずは子宮の検査。

子宮頸管も短くなっていないので、問題ないとのこと。

続いて、赤ちゃんの姿をエコーで検査。

頭がしっかりと見えて、大きさ的にも順調とのことでした。

ただ、子宮の結構下の方にいるみたいで全身の大きさが測れないとのこと…

何回エコーを動かしても、足が一向に見えないと言われました。

ちょっと今向きが良くないかもしれないから、時間置いて夕方くらいにまた見ましょうと言われて

病室に返されました。

姿が見れて一安心、という気持ちで病室に戻りました。

 

数時間後、エコー室に再度呼ばれました。

初めて会う先生で、ベテラン感のある先生でした。

ようやく身体の大きさがわかるかな?と思った矢先、先生から言われたのは

 

「羊水の量が少ないですね」

 

…ん?羊水の量?

私  「それってどういうことですか?」

先生 「このまま羊水が少ないままだと、ちょっと厳しいかもしれません」

私  「厳しいってなんですか?赤ちゃん危ないってことですか?」

先生 「…はい。いつまでもつか…」

 

いきなり。いきなりですよ?

久しぶりに姿が見れたと思ったら、いきなり危ないかもって言われて。

はいそうですか、ってならんでしょ。

もう、わけわかんなくて涙が止まりませんでした。

状況を受け入れられないし、何を言われているのか理解すらしたくない。

 

ようやく来てくれた子なんです、じゃあどうしたらいいんですかって。

この数日、エコーの検査もなくただ寝たきりで巡回に来て身体どうですかって聞かれたてただけで。

入院した日にはしっかりとあった羊水が。なくなってる??

破水なんてしてませんけど。

もう、悲しみと怒りでおかしくなりそうでした。

 

大事なことなので、後日旦那さんを交えてもう一度しっかりと話をしますって言われました。

泣きながらすぐに主人に電話して、主人も驚きを隠せてませんでした。

羊水がなくなるという、想定してもいなかった事態。

主人の仕事と先生の都合で、話を聞くのは2日後になりました。

相変わらず心臓は元気な音を聴かせてくれているのに、信じられませんでした。